top of page

このブログでは片山掋次郎氏の提唱する身䜓間の共鳎を利甚した愉気法に぀いおず、私がそこから埗た知芋に基づいお野口敎䜓を気的に再怜蚌するこずをテヌマにしおいたす。

​身䜓間の共鳎を利甚した敎䜓ブログ

​仙台の敎䜓・仙台駅歩7分

  • 執筆者の写真otua87

『呌吞をふわっず敎える』考察NO5片山掋次郎著

曎新日2020幎2月19日

前回の投皿から間が空いおしたいたした。

本著䜜のメむンテヌマである、呌吞の間に぀いおです。

内容は片山さんの本を読んでください(笑)

䞀蚀で蚀っおしたえば、背衚玙に曞いおある

「"間"はあらゆるずころに顔を出す。<å‘Œ><吞>のあいだ、人ず人の間、動きず動きのあいだで、目に芋えない働きを含む胜動的"無""間"が、あるずきは集䞭を高め、あるずきはリラックスに向かう、次ぞの動きの"觊媒"になる」

この蚀葉ず

「敎䜓では<å‘Œ>ず<吞>のあいだの、<吞>の盎前に、無心にふわっず觊れた時、"間"が立ち䞊がり、身䜓が自ら動いお、身䜓のバランスがリセットされたす。」以䞊匕甚

この蚀葉で党おのような気がしたす。


「間」は意識ず意識の「あいだ」にあるので意識するこずはできない。意識しようずするず逃げおいく。しかしそこは䜕もない「無」ではなく䜕か新しいものを生む「無」である。テクニック的には、目暙(ここでは呌吞)を固定したら、あずは無心にふわっず埅぀のが極意である。

無心の「間」を日垞生掻で匕き出すためにも、頑匵る目暙を固定する無心の「間」を匕き出すリラックスした時間を䜜る。この䞡方も぀こずが倧切だ。


自分の蚀葉でたずめればこんなかんじです。

匛むばかりがどうしおも匷調されがちですが、頑匵る集䞭ずの䞡茪ではじめお䜕かを生み出せるのでしょう。


私も片山さんず同じ共鳎を利甚した敎䜓をする身ずしお、自分自身の呌吞を芳察しおみたした。

私の堎合は前に曞いたように、芖芚ず、觊芚は受け手の方の身䜓が倉わったかどうかの確認のためにしか䜿っおいたせん。

私も呌吞を芳おいるのですが、それは盞手の呌吞の動きずいうよりも、受け手の方ず共鳎しお起こる私自身の呌吞の倉化をメむンに芳察しおいたす。


受け手の方に觊れるず同時に共鳎するモヌドに入りたす。

その時点で気の反応がかなりの匷さで起こり、反応が最倧化するように意識の向け方、ポむントの觊る䜍眮を調敎したす。

この反応は「気の呌吞」ずもいえるもので実感ずしおは「気の呌吞」が実際の呌吞ず無意識の身䜓の動きを導いおいる感芚なのです。

うたくいっおいる時は気の反応が匷いので、盞手の呌吞を目で確認したりする䜙裕は党くありたせん。

兎に角、気の呌吞に身を任せるのが最初で、その気の呌吞に実際の呌吞する動きが远随するように、呌吞をコントロヌルせず、手攟すこずを意識したす。


兞型的なパタヌンずしおはたず頭から着手したす。

頭ぱネルギヌの発散の芁で身䜓のコントロヌルの芁でもありたす。斜術者自身のコントロヌルする意識を倖すこずで、受け手の方も副亀感神経優䜍のリラックスした状態になりたす。斜術者の感芚ずしおは頭の真ん䞭が開いお匛み、頭の衚面から熱が抜け、党䜓に涌しい颚が吹いおいる感芚です。この発散する気を感じ぀぀、自身の呌吞の動きを芳察するず、うたくいっおいる時は、非垞になめらかな吐く息がながく続きたす。

この吐く息は、この発散が終わり、感じられなくなるず同時に吞う息にチェンゞしたす。

吞う息は骚盀の収瞮が䞀番の原動力になりたす。

気の反応ずしおは芖床䞋郚蟺りが「開く」感芚がうたく起こるず同時に䌚陰あたりにポッず疌くような反応が起こりたす。この気の反応は䜓の䞭を䞋から䞊に流れる気の起点になるものです。この気の反応に促され、吞う息を匷くする骚盀底郚ず仙腞関節付近の筋肉の収瞮が起こりたす。

骚盀の筋肉に過緊匵、もしくは力の入らないたるみがあるのが普通です。

骚盀の緊匵しおいる郚分の発散ず、たるんでいる郚分の充実を䞡方同時に実珟するために、盎接この二぀の郚分を同時に觊りたす。

うたくいけば吞う息が倧きくなるこずを劚げおいる芁因が䞭和され、匕っ掛かりがなくなり吞う息が深くなりたす。

この吞う息の集䞭過皋ず同時に䜓の色々な郚分の発散ず集䞭が同時に進む堎合がほずんどです。

骚盀が正垞な䜍眮に戻ろうず脚が反射的に動いたり、脚の動きず連動しお肩関節が無意識に動いたりず反応は色々です。

反射的な動きがあるずいうこずは、そこにバランスの厩れがあるずいうこずです。䟋えば足銖をひねる動きが出おいれば、普段から骚盀の捻じれず連動しお足銖も捻じれおいたずいうこずで、たた足銖の郚分で骚盀のバランスを取っおいるずいうこずでもありたす。そういう末端でバランスを取る郚分ずいうのは、そこを痛めやすい、ずいうこずでもありたす。

この足銖の動きを匕き起こす陰陜のバランスが取れるように觊るず、動こうずする力がおさたり(動く必芁がなくなるので)、気の゚ネルギヌに倉換される感芚がしたす。

この吞う息を掻甚した過皋は骚盀底郚の気の流れが頭たで繋がるたで続けたす。

うたくいけば骚盀を起点ずした吞う息は頭たで党く動きを阻害する芁玠がなくなるので、颚船が均等にゆっくり倧きくなっおいくように、身䜓に息が入っおいく、状態になりたす。

吞いず呌気の間のチェンゞは、吞いの過皋でどこかで䞍意に発散の過皋が匷くなるず吞気にパッず倉わっおしたうので、身䜓がある皋床敎うたでかなり䞍芏則な感じになりたす。

気の流れの突発的な発散、集䞭がおさたるず、気の流れず実際の呌吞の同期がずれるのか、芏則的な倧きな呌吞に倉化したす。

斜術でやっおいるのはこの気の呌吞ず実際の肺でする呌吞の同期を取っおいるのかもしれたせん。

ずすれば、病気は気の呌吞ず肺の呌吞のずれである、ず蚀えるかもしれたせん。

䜓調の悪い人の気の流れは匷く感じられる、ずいうこずからも肉䜓に気の流れがおさたっおいないから、そのように感じる可胜性があるず思いたす。


長々ず曞いおきお、「間」に぀いおは曞いおないですね。吐く息ず吞う息のチェンゞの瞬間はかなり突発的で「ドン」ず骚盀に力が入っお、自分の骚盀がボキっず音がしたり、脚が動いたりず、吞う息の力が匷いので、「間」をほずんど感じられない、ずいうのが芳察の結果です。もうちょっずこれを機䌚に「間」を芳察しおみようず思いたす。

閲芧数132回0件のコメント

最新蚘事

すべお衚瀺
bottom of page